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診断の経緯

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この記事では、当時どのような経緯で病院を受診するに至ったか、そしていくつかの病院を受診していく中での自分がしてしまった間違い、そして確定診断に到るまでの経緯を記録しています。

炎症性腸疾患の患者の方は、受診をするまでに様々なケースがあると思います。しかし最初の段階で自分が本当にその病気なのか、そもそも炎症性腸疾患などとは思いも寄らないことがほとんどだと思います。私の場合は、胃痛だとずっと思っていました。今考えれば、それは胃痛ではなく、みぞおち痛という内臓起因の痛みであったことがわかるのですが、そのような経験をしたことがない方は想像できないと思います。

そもそも単純性潰瘍というのは、症例自体が少なくまだまだ患者がどのような原因でなるのかはわかっていません。しかし症例(N値)を増やしていくという意味では、こう言った情報は重要になってくると思っています。

今後の同じような状況になった方への参考になれば幸いです。

治らないみぞおち痛

2013年3月頃
当時の年齢は27歳。普段からたまに胃痛のような痛みを感じることが良くあったので、今回もそんな感じだろうなと思いつつ、市販薬の胃薬とかを飲んでいました。

普段の感じる諸症状としては、たまになる胃痛と、下痢になりやすいこと。そして、口内炎が治ってはなるの繰り返しのような状態でした。

しかしこの時の胃痛は、全く痛みが収まらず、家の近くのクリニックで診断を受けたところやはり胃痛だとのこと。その後、痛みはあまり良くはならなかったものの、激痛というほどでもなかったので、そのままダラダラと薬を飲み続けていました。

そのクリニックは、内科・胃腸科ということもあり、途中で胃カメラもやりました。その時には小さな胃潰瘍が見つかっていたためにそのときの医師の診断は胃潰瘍ということになりました。

そして胃潰瘍の治療のために、その原因と終われるピロリ菌も胃の中から検出されたため、そのままピロリ菌の治療を行いました。

ピロリ菌の治療は、基本的には強い抗生物質を飲むことになります。抗生物質を飲むことで胃腸の細菌を根こそぎ殺してしまおうというやつです。そしてその副作用として、腸内の善玉菌も一緒に死んでしまうため、下痢になることがあるのですが、私の場合にはかなり酷い水下痢になりました。

しかし飲んでいるときでも、治療が終わったと思われるときにおいても胃痛が治ることはなかったのでした。

盲腸の誤診

2013年5月頃
その後、ピロリ菌を駆除の薬を飲み終わっても、胃痛と思われるみぞおち痛は収まることはありませんでした。この頃になると、食事のあとに酷くお腹が痛み、お腹をさすりながら歩くような状態になっていました。このラインより上のエリアが無料で表示されます。

しかし気持ち的には、医者にも行ってるし、薬も飲んで、ピロリ菌も駆除して、これ以上何もできないと思ってしまっていました。

この頃に仕事の都合で出張に行かなければならないことがありました。今考えれば、行くべきではなかったんですが、当時の私はこの腹痛と下痢を甘くみて日和見的なものだと思っていたんだと思います。

しかしその出張が体調を更に悪化させてしまいました。40度近い高熱を出し、食事も食事後の腹痛によりほとんど食べられなくなり、下痢も続く。更には腹痛で夜中目が覚めてしまうようなことすら起きていました。

出張から帰ってから直ぐに通っていたクリニックに行くと、お腹の触診をし、右下腹部に痛みがあることから、今度は盲腸という診断をされました。

クリニックでは手術は出来ないので、紹介状を書いてもらい、今度は町の総合病院に行くことになったのでした。しかし総合病院での問診だけでは、盲腸の診断は出来ないと言われ、その日は大腸カメラの検査予約だけを済ませて帰ったのでした。

大腸カメラからの緊急入院

2013年6月末
大腸カメラの日になりました。

当日は、家から病院が少し遠かったので、自転車で行きました。その後わかったのですが、大腸カメラなどの検査の時は車や自転車では来てはならないそうです。検査の為の麻酔の影響で正常な運転が出来ない恐れがあるからだそうです。

その後の私にとってはどちらにせよ、運転なんぞ出来る状況にすらならなかったのですが。

大腸カメラの為に、検査着に着替え、検査台の上で麻酔を注射しました。そのまま検査がはじまるのですが、麻酔の影響で、そのままストンと眠りに落ちてしまいました。

暫くして、正確には寝ていたので、私にはどれぐらい経ったのかは分からないのですが、目が覚めてまだ意識もはっきりとしてない中、言われたのは、『このまま直ぐに入院して下さい』。

何がなんだかわからないまま、病室に着いて、、この辺はあまり良く覚えていません。多分母親に電話して病院に来て貰って、荷物を一人暮らしの家から持ってきて貰ったりしたのだと思います。

そして、落ち着いた頃に医者から言われた病名が、単純性潰瘍でした。

確定診断と手術そして手術

単純性潰瘍と言われた時には、何の病気か良くわかりませんでした。医者からの説明では、原因はよくわかっていないが、盲腸部には何も炎症は起きておらず、その代わり回盲部(大腸と小腸の境目)に深い潰瘍が出来ており、穴が開く寸前まで来ていると。穴が開いてしまうと、腸の内容物(便、消化液)が他の内臓に漏れてしまい腹膜炎を起こす可能性があるので、即手術をして、回盲部を切除する必要があると。

なんだか当時の私には情報の整理が追いつかず、もう色々と理解ができませんでした。炎症性腸疾患がなんなのかわからなかったし、炎症部を切ってしまえば、それで済むと思っていました。ネットで調べても情報はないし、出てくるのは一般的な概要かクローン病や潰瘍性大腸炎のことばかり。

逆に自分はクローン病や潰瘍性大腸炎じゃないから、大したことないし、直ぐに治っていつも通りの生活に戻れると、盲信していました。

だからこそ、今思っても沢山の間違った判断をしてしまったんだと思います。

間違えた判断
・町医者の偏った知識、経験を信用したこと
・炎症性腸疾患という専門性の高い病気を一般外科の医師に任せたこと
・開腹手術じゃなく、内視鏡手術にしてしまったこと

手術の日取りまで、3日間輸液のみの完全絶食となりました。ここまで絶食をするのは、当時これが初めてだったと思います。空腹というのは不思議なもので、3日を過ぎる頃には食への欲求がなくなってきます。食事を見ても自分のものだという感覚がなくなります。ただそれでも同室の患者の食事の匂いや、箸スプーンの音が辛かったことを覚えています。

上に書いた通り、私は内視鏡手術を選びました。正確には医師が内視鏡手術をするというので、それを了承したということです。その医師は、内視鏡の手術を今まで何件もやっていて、自信があるし、小腸の一部を切るだけの簡単な手術だからと。しかし問題だったのは、この医師が炎症性腸疾患の手術を経験したことのない医師だったことかもしれません。

そして手術は無事成功。

とはならず、その5日後に縫合不全を起こし、急性腹膜炎となり緊急開腹手術。そして、訳のわからぬままに、ストマ(イレオストミー)をつけることになっていたのでした。

何が起きたのかというと、内視鏡手術はお腹に複数の小さな穴を開けて、そこに手術器具を入れて実施します。回盲部の小腸を切り取って、大腸に繋げるのですが、その時の医療用のホッチキスのようなクリップでの接着が弱く、腸の内容物が漏れての腹膜炎となった訳です。何が問題だったのかという説明でその後医師から言われたのは、縫合部の接着が想定より弱く、傷口が治っていなかったとのこと。

しかし今考えれば、症例の少ないかつ炎症性腸疾患の病気に、視野の狭く、かつクリップでの接着のようなリスクのある手術を選択した医師こそが、問題だったと今ではそう思うのです。

ストマ生活

2回目の手術のあと、突然私とストマとの生活が始まりました。ストマの位置を決めるのには、看護師と相談してズボンの位置を見ながら決めるのですが、緊急手術となった私にはそんな余裕はありませんでした。

正確には看護師にお腹にペンでマークされてはいましたが、急性腹膜炎の激痛の中では位置を考える余裕などは全くなかったのです。

突然のストマの生活に、私は現実を受け入れることはできませんでした。しかしストマはそんな気持ちなどは全く気にすることなく、日々の処理を強制されるのです。

因みに私の単純性潰瘍の確定診断はここでされました。切除された腸を細胞診に掛けて、クローン病でもなく、潰瘍性大腸炎でもなく、単純性潰瘍であることが確定となったわけです。

事前に覚悟してストマになった人と、何の心の準備も無くストマになった人。これはなかなかなった人ではないと想像出来ないと思います。目が覚めたら、お腹に腸の一部が出ていて、そして自分の意思とは関係なく、常に出続ける。

今振り返れば、仕方がない措置だったし、ストマにしたことで、痛みのない生活になれたことは良かったと思っています。しかし当時の私にはもう少し時間が必要でした。

それから更に1カ月ほど入院しました。縫合部との痛み以外にはほとんど痛みはなかったのですが、身体の中の炎症が収まらず、常に37度程度の状態で、かと思ったら急に高熱を出したり。

その時の医師は、どう対処すればいいか分からずに、あれをやってみよう。これをやってみようというような手探りな状態でした。その時に赤血球数が低いから、輸血することにもなりました。要は私のような患者に対する経験がなかったのです。

私もそろそろこの医師に対する信頼を無くしており、ここで漸く紹介状を書いてもらい、入院中に横浜市民病院の炎症性腸疾患科、IBD手術の権威である杉田先生を受診することになりました。

そして杉田先生からは、先ずは今の病院をしっかり退院すること、そしてストマクローズは市民病院でやってくれるとの話がありました。また今の病院の医師には今後の治療(退院に向けた)についてのアドバイスをしてくれることになりました。

入院中の病院に戻り、約2週間ほどで漸く退院することが出来ました。

最後に

これが私の体調を崩してから、退院するまでの全経緯になります。一部記憶が曖昧な部分もありますが、当時の経緯、気持ちの部分は書いているつもりです。この後の生活は、およそ半年間ストマと一緒の生活をするのですが、もちろんストマが付いているが故の不便はありましたが、痛みがないという生活はQOLの観点でも手術前に比べれば、比較的に過ごしやすかった記憶があります。

最後までお読み頂きありがとうございました。

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